言いたいことが言えずに我慢してしまう、でも我慢のコップの水は限界まで来ていて、ちょっとしたことであふれてしまいそう・・・そんな思いをしたことはありませんか。
これは今の私の状態でもあります。コップの水があふれてしまう前に少しでも水を減らすことができないか、試行錯誤している最中です。
そんな時に出会ったのが「アサーション」という言葉。自分の気持ちを大切にし、適切に相手に伝えようとするコミュニケーションの在り方は、コップの水を減らすための一助になると思いました。
アサーションに関する入門書を読んでみたので、その感想について述べたいと思います。
アサーション入門ー自分も相手も大切にする自己表現法
書誌情報
書 名:アサーション入門-自分も相手も大切にする自己表現法 著 者:平木典子 発行所:講談社 発行日:2012年2月20日(第1刷) 定 価:720円
「アサーション」とは?
感想を述べる前に「アサーション」という言葉について少し整理します。
本書ではアメリカの心理学者ウォルピィによる「3つの自己表現のタイプ」が紹介されています。これがアサーションの大枠を掴むのに分かりやすいと個人的に思います。
※いずれも「アサーション入門ー自分も相手も大切にする自己表現法」より引用
人はいずれのタイプも持っており、個々人によって各タイプの割合が異なるということだそうです。
消去法のような形になりますが、アサーションとは「他人本位や自分本位でなく、自分の意思を前提としつつ他人の意思も尊重するコミュニケーションの在り方」と私は理解しました。
私の場合、3タイプの割合は「非主張的」60%「攻撃的」10%「アサーティブ」30%ぐらいかなと自己分析しています。圧倒的に「非主張的」ですね。
読んでみての感想
・「人を傷つけてはいけない」は諸刃の剣。
・頭の中にしずかちゃんを住まわせよう。
・思い出したのは「嫌われる勇気」
「人を傷つけてはいけない」は諸刃の剣
本書では、アサーションの妨げになることとして「人を傷つけてはいけない」という考えが挙げられています。
おじさん
え?アサーションは「他人に配慮すること」が前提なんだから、別に妨げにはならないのでは?
私もそう思いました。しかし、この考えに捉われすぎるとどうなるか?
「人を絶対に傷つけてはならない」という考えにとらわれすぎると(中略)ひたすら相手を傷つけないように、態度に気をつかい、控えめなものの言い方をする一方で、相手も同様に配慮すべきだと考えるようになります。
「アサーション入門ー自分も相手も大切にする自己表現法」より
他人を傷つけまいと自分を抑えて「非主張的」になり、最終的には自分が配慮しているのだから相手も自分と同じぐらい配慮すべきだと、むしろ「攻撃的」になっていく…。「人を傷つけてはいけない」という当たり前のことが実は諸刃だったとは…!
念のためですが本書では「人を傷つけないための配慮は必要」としています。これが行き過ぎるとどうなるか?その結果にハッとさせられました。
この部分を読んで正直「自分のことか?」とかなりドキッとしました。他人に気を遣う割に「なんで私ばっかり?そっちもちょっと考えてよ!」と怒りを覚えてしまう。う〜ん、身に覚えしかないぞ。
このような怒りを感じたときは、他人への配慮と自分の意思のバランスが上手く取れていない(=アサーティブでない)状態なのかもしれません。まずは「自分は本当はどうしたいのか」を冷静に丁寧に言語化してあげる作業が必要になりそうです。
少し話は変わりますが、この話の最後の一節が心に残っています。
最後に付け加えると、人はある程度傷つく経験を重ねることで抵抗力がつき、ささいなことで傷つかなくなります。そのことも覚えておきましょう。
「アサーション入門ー自分も相手も大切にする自己表現法」より
私は結構傷つきやすい自覚があり、他人からすれば「そんなことで?」というようなことで心がズキっとしてしまいます(まあ感じ方は人によるんですけどね)
なんだか無駄に傷ついている自分が情けないなと感じていました。
この一節を読んで「傷つくことは無駄じゃないよ」「糧にして強くなっていけるから大丈夫だよ」と言われた気がして、なんだか勇気づけられました。
頭の中にしずかちゃんを住まわせよう
アサーティブな振る舞いを考える時、ドラえもんのしずかちゃんをイメージすると分かりやすいと本書では述べています。
これがすごく分かりやすい(笑)
子どもたちがアサーションを考える時のヒントとしてドラえもんのキャラクターが使われているのですが、大人にとっても感覚を掴みやすいです。この部分は短いのですが必見です。
日常において、こんな時どうする?こんな時どう言おう?と迷ったら、頭の中のしずかちゃんに聞いてみるのが良さそうです(ただしビジネスシーンでは難しいかも…)
思い出したのは「嫌われる勇気」
本書の最後にこんな一文が出てきます。
相手が非主張的であろうと攻撃的であろうと、自分ができることは、まず自分がアサーティブになってみることです。
「アサーション入門ー自分も相手も大切にする自己表現法」より
あれ?この感じ、どこかで聞いたことあるような・・・?
思い出したのは「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著)の一節でした。
わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社、2013)より
アサーティブになろうとすると「なぜアサーティブじゃない人間もいる中で、自分がやらねばならないのか?」と思う瞬間があります。「嫌われる勇気」におけるアドラー心理学の「共同体感覚」の章においても、同じような疑問が出てきます。
それに対する結論は上記の通りであり、両者とも「やらねばならない、何より自分のために」と述べているのです。アサーションもアドラー心理学も、自他を分離した上で自分を大切にすることを軸としており、そこには「他人は関係ない」というある種の厳しさがあります。
またアサーションにおいては、(他人はさておき)まずは自分がどうしたいかを見つめ直す過程があり、これはアドラー心理学における「課題の分離」や「自他の線引き」に通ずるところがあると考えます。
こうしたことから、アサーションとアドラー心理学の考え方には近しいものがあると思いました(いずれも専門的に学んだわけではないため、解釈に間違いがあったら申し訳ありません。少なくとも私の頭の中で両者が結びついたというだけです)
手に取ったきっかけ
自分を大切にするためには「自分の意見を適切に伝えられる」ことが大事なのでは?とようやく気づき始めたところです。
そんな中、前回の読書記録の「『悩む』を時短する!東大式感情コントロール術」(東大カルペ・ディエム著)で「アサーション」という言葉を初めて知りました。
「アサーション」=「自分も相手も大切にするコミュニケーション」についてもっと詳しく知りたいと思い、一緒に紹介されていた本書を手に取るに至りました。
本書は入門編として「アサーション」の概要や実践についてやさしく書かれており、「アサーション」という言葉を全く知らなくても、読み終わった後にはなんとなく大枠を掴めるような内容になっています。
アサーションについてもっと知りたい人向けの関連書籍も巻末に紹介されているので、そちらも読んでみたいと思います。
おすすめしたい人
感覚の話になりますが、同調圧力の強い環境にいると「非主張的」になりやすいように感じます。知らず知らずのうちに「非主張的」になってしまっている方は多いのではないでしょうか。
- 何だか自分ばかりが我慢している気がする
- 不満を溜め込んで爆発しがち
- 怒りが爆発したあと後悔してしまう
こんな思いを抱えている方は、自分を抑えてしまっている(=「非主張的」になっている)のかもしれません。そんな方に本書を通じて「アサーション」の考え方を知ってもらえたらと思います。
「アサーション」を、意見を言えるようになるための単なるコミュニケーション術と捉えると「適切に思いを伝えると言っても・・・それができれば苦労しないよ!」と考えてしまうかもしれません。
しかし「アサーション」でポイントとなるのは、自分を大切にするという考え方の部分です。
自分の気持ちを適切に伝える(=アサーティブになる)ためには、自分の気持ちを見つめ直す作業が必須になります。これが自分を大切にすることに繋がってくるのだと思います。
本書には「非主張的」「攻撃的」「アサーティブ」のどれが優位か?を自己分析するための簡単なワークも出てくるので、ぜひ活用してもらいたいです。
私は息をするように「非主張的」なコミュニケーションをしてしまうので、少しずつ「アサーティブ」の割合を増やしていきたいです。50%ぐらいまで増やしたいな…!
読んでいただき、ありがとうございました。
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